レベル1.の講習を2度受けました。
一度目は2007年6月、二度目は同年10月。
その間に、レベル2.とファシリテータートレーニングを受けました。
アティテューディナル・ヒーリング(以下A/H)の最も重要な作業には「話すこと」より「聴くこと」の方が大切に思えてなりません。
悩み事や、不安、何か胸に詰まって息苦しいようなとき、誰かに「話すこと」で、なんとなくスッキリしませんか?
「話すこと」でとても気が楽になって、今まで悩んでいたことで押しつぶされそうだったのが、心も体も軽くなった経験はあると思います。
これは、誰かに話を「聴いてもらう」ことで、心の整理、思考の整理がついて、解決策の方向性が見出せた気がして、なんとなく楽になった感じがします。
しかしながら、根本的には何の解決にもならないので、独りになったとき、また繰り返し悩みのサイクルにもどったりもします。
「時間」が解決してくれるものですが、話を聴いてもらった時のことを思い出してみてください。
こんな経験ありませんか?
聴いてもらっている人に、「○○すればいいじゃん」、「○○だからだよ」、「○○は良くないよ」など
言い返されたことありませんか?
「まぁ~そうだよね。 分かってるんだけどさ~。」
言われなくても分かってるんだけど、できないから困っているのが本音ですよね。
その後、もっともっと色々アドバイスされたらどうでしょう???
できない自分はそれらを受け入れられますか?
そのアドバイスが親からだったら、きっとふくれっ面しちゃいますよね。
そもそも、アドバイスを求めて話をしたのでしょうか?
ただ、誰かに聴いてもらいたかったんですよね。
気の利いたことなど、何も言ってもらえなくて良いから、ただ、聴いてもらうことで頭の中のもやもやした
悩みの解決策を少しずつ自分で見つけられるから、聴いてもらったあと何となく気が楽になるというか、
スッキリするのだと思います。 すでに自分で解決に動いているんです。
さて、ここまではよくある話で、私がなぜ、「聴くこと」が重要に思うのかお話しします。
レベル1.での体験は非常にそれが良く分かります。
しかし、私の場合は2度目に受けたとき、やっと認識できました。
原因は、初回参加の際、「話すこと」で頭がいっぱいで、「聴くこと」に集中できませんでした。
そして2度目の参加の時は、サポートグループにも2回程参加していたので、「聴くこと」の訓練が積まれ、全身で話す人の全てを「聴くこと」ができた気がします。
全身で話を聴くときと、そうでない時と、自分の中で起こる変化に違いがあります。
訓練されていない時、私は「話の内容」について詳細を知りたがり、自分の判断に間違えないように
とても気を配りました。
なので、沢山の質問をしたり、状況を詳しく述べて欲しいと求めたり、話す人の気持ちより、その人の問題に注視していました。
今から思い返すと、私のアドバイス癖、おせっかい癖が、的確なアドバイスをするための聴き方をしていたのだと思います。
訓練されてからは、私の中で起きる変化が全く違うのにビックリしました。
話す人が、どんな想いで話をしているのか、その人のその想いを大切に聴くことができるのです。
そして、その想いが理解できるのです。
もちろん、100%理解はできませんが、共感できるのです。
話す人の熱意だったり、やさしさだったり、深い愛情だったり、一生懸命な姿勢だったり、さまざまですが、深く、深く、共感できるのです。
すると、自分の心の中にも、「じーん」と熱いものが感じられ、胸がドキドキします。
「わかるなぁ~」、
「本当に心配してるんだなぁ~」、
「愛情深い方なんだなぁ~」、
「本当につらいんだなぁ~」、
話している人の想いが、自分の過去の経験を思い出させ、自分の立場と重なったり、または、相手の立場と重なったりすることもありました。
とくに相手の立場に重なったとき、私の中で大きく変化を感じることができました。
私の相手と話をしている人とはもちろん別人ですし、時間も場所も違います。
そして状況も違っていることはここでは重要ではないのです。
心の中で起きる変化は、人それぞれで違うようです。
なので、全ての方に、私が体験した同じ変化が起きることは無いかもしれませんが、
心に「じーん」とくる温かい感じは、なんだか、映画の感動と似ていると思います。
そして、思い出すのが嫌で蓋をしていた過去の出来事だったり、心にひっかかっていた状況など
見て見ないふりをしながら、ずーっと、ずーっと、しっかり抱えていたものを、ふーっと手放すことが
できたような感じが残ります。
これって、イメージできますか?
嫌な思い出としていたのも自分。
「聴くこと」で感動したのも自分。
過去の体験と紐付けたのも自分。
見て見ないふりをしていたのも自分。
ずーっと抱えてきたのも自分。
そして手放したのも自分。
誰かに何か指示された訳ではないのです。
誰かに手放せと言われてませんし、
誰かにずーっと抱えるように命令を受けた訳でもありません。
嫌な思い出は過去の出来事で、今までずーっと継続的に同じことが起きている訳ではないのですよね。
あの時の自分は、今現在、存在している自分とはもう既に違うのです。
あの時の思い出は、今現在、存在していないのと同じです。
これがつまり過去に囚われないということでしょうか?
「ゆるす」「手放す」、「ゆるす」「手放す」、「ゆるす」「手放す」、、、、
自然と何かに囚われることが少なくなってきますが、難問がやってきました。
自分をゆるすことができない。
自分は、自分をゆるすことができるのか?
確実に「ゆるせない自分」の存在を自分の中に確認できます。
この難問、まだわかりません。
こんな時に、「奇跡についてのコース」の日本語訳のサンプルを手渡され、またまた混乱。。。。
いつか、この「奇跡についてのコース」も紹介しますね。
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今日のカードは
「許しは幸せへの鍵」
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白金台のプライベートサロン フロリエイド