アティテューディナル・ヒーリング
ジェラルド・ジャン・ポルスキー氏著「ゆるすということ」、「癒しのレッスン」
これらの本を読んで、アティテューディナル・ヒーリング(以下、A/Hと略します)というグループの存在を知りました。
A/Hを直訳すると、「応対する姿勢による癒し」。
詳しくは、このA/Hを主催されている、前民主党衆議院議員で、精神科医の水島広子先生のホームページを読んでいただくと一番理解しやすいと思いますので、興味のある方は是非アクセスしてみてください。水島広子先生のHP
自らが平和でいる唯一の手段は、何事に対しても、もしくは誰に対しても、それらに対する自らの心の姿勢が平和であるよう、自らの責任において選択する。
これまた、何を言っているのか文章からでは理解し難いですが、例えば。。。。
私が誰かに叩かれ、左腕がとても痛くて、しかも何で叩かれたかも分からず怒りがこみ上げた時、
「痛いじゃないのよ。なんで、叩くのよ!」
と、理由なく叩いた人に対しての怒りをもって対応する場合と、
「私は今、とっても左腕が痛くて、痛くて困っています。」
と、言う場合どんな違いがあるのでしょうか?
前者は、当然の反応ですよね。
叩いた相手に対する攻撃的な言葉で対応してます。
また叩かれるか、私が一体何をしたのか不安でいっぱいです。
恐怖におののき震えているかもしれません。
おそらくその場の雰囲気は一触即発といったところでしょうか?
後者はどう考えても変ですよね。
でも、言えなくてもそう思えたらどうでしょう?
言葉は自分の責任において完結してます。
自分の左腕が痛くて、困っているという現実だけをみて、
叩いた相手に攻撃的な姿勢は感じられません。
相手が私の対応にどう反応するかは相手の勝手です。
もしかしたら、続けて叩いてくるかもしれませんね。
同じ対応を続けていたらどうでしょう。(左腕は更に痛いですが、、、)
叩いた相手は、自分の手が痛いのに気がつくかもしれません。
これは、別に相手に気付いてもらうための行為ではありません。
唯一、心の平和を保つために、相手を攻撃するのをやめたのです。
私の拙い文章より、博士の本を読んでいただければ、私の挙げた例など
全く無用です。
これがもしも、親子、兄弟、友人、恋人、職場の上司または部下、先生と生徒、社内の他部署間、会社対会社、組織対組織、国対国。 とっても小さな人間関係から大きな外交関係まで多様に役に立つ手法であることが分かります。
私が、A/Hに興味を抱いた理由は、とっても難しそうにみえて、人間関係の問題って結構簡単に修復できるのでは?と思ったからです。 もちろん、私にも人間関係の悩みがあったからです。
今年の2月にレベル1.の申込みをした時、確実に参加できる日時が、なんと6月(4ヶ月後)。
キャンセル待ちをしていましたが、結局6月に待望の「レベル1」セミナーに参加できました。
宗教的なもの、霊的なスピリチュアルなもの、違和感はありますが、受入れる心は持っているつもりでしたが、それでも、「宗教まがいだったら嫌だなぁ~」とか「神の声を。。。天使の声を。。。瞑想して。。。となったらどうしよう」という不安はありました。
(隔離された部屋で制限を加えられ、平常心を歪められ、多額の商品を購入する契約を締結させられる商法は昔からよくある話ですから。。。←水島先生ごめんなさい!もちろん水島先生だから安心はしてました。)
参加しての感想は、まったく霊的なスピリチュアルなものもなく、宗教的なものもなく、非常にまともなセミナーで安心したこと。
博士の本は、どうしてもキリスト教文化をベースに書かれているためか、「神」という言葉がしばしば登場し、「心」にしっくりこない部分もありましたが、セミナーは一字一句しっかりと腑に落ちました。
「傾聴する姿勢」を学びましたが、とても簡単なようで難しいことも認識できました。
相手の言わんとするところは、私のアドバイスを求めているのではなく、ただ聞いて欲しいから話している。 その話を全身で聞いてあげることが、相手をどれだけ安心させることができるのか。
安心させたいから「傾聴」するのではなく、私の「心の平和」の為に「傾聴」する。
あ~また訳の分からない、難しいこと言ってるように聞こえますね。。
A/Hでのことをどこに記すか迷ってましたが、あまり人目につきませんが、このブログ形式のページに記すことにします。
レベル1.での話。 レベル2.での話。
そして、先日のファシリテータートレーニングの話。
私は常に「心の平和」を選択しているのか?
話を深く傾聴せずに、誰かにアドバイスばかりしていないか?
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今日のカードは
「私のやすらぎは自分の中からしか得られない。
他のどこからも得ることはできない。」
この続きを知りたい方は、是非サロンにお越しください♪



